今日は久々に映画を見た。
どうせ2時間見るなら
自分の人生に影響を与える
そんな熱い映画を見たいと思った。
そこで借りたのは、
「ロッキー(1976年 米)」
知る人ぞ知る名作という感じだが、
今まで見たことが無かった。
結果として
めちゃくちゃ見て良かった
見終わった後テンションが上がりすぎてしまい、
夜中2時にも関わらず「ロッキー」のテーマ曲、
Gonna Fly Now
を聞きながら思わず全力疾走に出掛けてしまいました。
それはいいとして、今回の「ロッキー」の中から
いくつか学べる部分があったのでご紹介したいと
思います。
最初は自己否定の塊だった
この映画の主人公、ロッキー・バルボアなんですが、
最初は地方の街の三流ボクサーでした。
ファイトマネーが40ドルとか言う本当に底辺の
レベルのボクサーであり、正直全然かっこ良くない。
もちろんそんなファイトマネーだけでは暮らしていけない
ということで、借金取りのバイトをしています。
年齢も30歳ということで、お先も真っ暗。
本当にクズな感じでした。
ある時ジムのロッカーを追い出されてしまい、
ジムのトレーナーのミッキーという爺さんに
ロッキーが理由を問い詰めてみると、
いい素質を持っているのに二流の高利貸しの
手先になったからだ!
とロッキーを見限ったことを伝えていました。
この発言から分かるのが、
ロッキーはトレーナーも認めるほどの
素質があったのにも関わらず、それを
活かしてこなかった。
ということが分かります。
その後に世界チャンピオンのアポロ・クリードから
挑戦者として抜擢された時にも、
「俺は場末のリングに上がる三流ボクサーだ」
と言って一度そのオファーを断るシーンが
ありました。
元々素質があっても、本人が自分のことを信じていない
場合は当然の事ながらその素質を活かすことなんて出来ません。
でもこれって現実の世界でもむちゃくちゃ多いと思います。
せっかく能力や才能があっても自分がその才能を
信じてあげられない。
信じてあげられないから当然努力もせず、
当然結果も出せない。
多くの人ロッキーのように
自分はそんな大した人間ではない
と言って努力をすることから逃げてしまっています。
更に恐ろしいことに、世界チャンピオンに挑戦を
出来る権利を目の前にしても一度はそれを断る
というところは本当に恐ろしい。
この部分についてはチャンスというのは、最大限
自分を信じて努力をしている人にこそ目の前に
見えてくるものだと思います。
100万円稼ぎたいと思っていないと本当に100万円
稼ぐ方法なんて分からないだろうし、わかっても
努力をしないでしょう。
このようにして自己否定が激しい人はチャンスも逃し、
本来の能力の一部分も発揮できず、一生を終えてしまう
わけです。
努力をする際には一番最初に「俺にも出来るはず」と
絶対に思っていないとできるはずがありません。
むしろかすかにでも思っているからこそ、その自信を
埋めるために努力をするのだと思います。
「決める」ことで初めて見えてくるもの
ロッキーは一度は世界チャンピオンになんて勝てないと
そのチャンスを断ろうとします。
しかし残り5週間という時間が迫ってくる中で、
ついにそのオファーを受けることを決めます。
この時にロッキーはものすごい勇気のいる決断をした
のだと思います。
実際下町の三流ボクサーの自分が世界チャンピオンに
勝てる確率なんて、素人目から見てもほぼゼロに近い
という感じだし、
経験者であるロッキーから見れば、素人が判断する
よりもその能力差は明らかだったと思います。
自分がオファーを承諾する=ボコボコにされて負ける
と言っても過言ではないオファーを自ら
承諾するというのはどれだけの勇気が
いたことでしょう。
しかも残り5週間という短い時間の中でです。
5週間で下町の三流ボクサーが世界チャンピオンに
勝てるわけはない
誰もがそう思って諦めるところでしょうが、
ロッキーはそこから本格的にトレーニングを
開始するのです。
勝敗なんてどうでもいい。どう在りたいかが問題
ロッキーがトレーニングを本格的にスタートし、
孤独なトレーニングの日々を送ることに。
トレーニングに耐えるロッキーを見て、つくづく
努力は孤独の中でするもの
という感じがしました。
その中で段々目つきが変わっていき、本気でチャンピオンに
挑もうという風に覚悟を固めていったという感じ。
試合を数日前に控えたシーンで、過酷なトレーニングを
こなしてきてもなお、
「自分にはチャンピオンには勝てない」
と言った趣旨のセリフをロッキーが吐く
シーンがあります。
これは単なる弱音とかではなく、
本気で勝とうと思い、トレーニングを積めば積むほど
見えてくる、
自分とチャンピオンの越えられない壁
が見えたんだと思います。
受験勉強とかでもそうですよね。
勉強をしていくにつれてどんどん知らないことが
増えていき、不安になっていく。
そこでいかに努力を続けられるかというのが
ある意味分かれ目だったりするわけですが、
そんな状況であっても、望み薄であっても
ロッキーは、
「最後まで立っていられたら、ゴロツキじゃないことを
証明できる」
と語っています。
ここでふと思ったのですが、この時点でロッキーは
勝負の勝ち負けを越えたところにある、
自分のプライド
みたいなものをかけて勝負に挑む感じに見て取れます。
明らかに望みが薄い勝負だけど、
それでもやる
という感じ。
それまで中途半端にボクシングをやってきた
ロッキー自身もどこかで不完全燃焼感を感じて
いたのだと思います。
そんなこれまでのダメな自分をどうにかしたい。
そうやって自分を鼓舞していたように思います。
実際にチャンピオンとの試合は最終ラウンドまで
決着がつかず、結局判定でチャンピオンが勝つ
わけですが、
試合後のロッキーは勝敗なんてどうでもよく、
報道記者の
「再戦はあるのでしょうか?」
の問いに
「そんなものはどうでもいい」
と言って、必死に恋人エイドリアンの名を
呼びます
エイドリアーーーーーーン!!!!!
最後のロッキーは勝ち負けも再戦も全てどうでも良くて、
最後までリングの上に立ち続けた自分に対して
達成感を得ていたんだと思いました。
うまくいくかどうかよりもどう「在りたい」か?
今回ロッキーを見て、
「在り方」の重要性
を学びました。
僕らって物事の可能性とかうまくいくかどうか
にばかり一喜一憂をしてしまいがちです。
しかし、可能性ばかり追い求めていくと、
可能性の中だけで生きる、非常に小さい
枠にハマり込んでしまうでしょう。
もちろん自分の枠を広げるのにはロッキーの場合の
ように外からの圧力って大事だとも思いますが。
そういう意味でも自分がチャンピオンになる可能性よりも、
自分がどういう人間でありたいか?
に全力を注いだロッキーから学ぶべきことは
本当に貴重なんじゃないかなって思います。
特に自分の人生を変えるという時には、
今までの自分の「可能性」などを越えた
ことをやらないと本質的には変わらない
と思います。
そういう意味でも「可能性」よりも
「在り方」を追求していく必要が
あるんじゃないかなって思いますね。
ロッキーには深い部分の生き方を学べます。
シリーズ制覇を目指します!
では!